みなさんこんにちは。
U5-6のしょうたコーチです!
シーズン1も無事に終わりこれから次のシーズンに向けて面白いことをたくさん考えていたところ、すぐに思いついてしまいました。
そこで新企画始めました。
題して「回していいとも!!」
現在J Athletics Canada Soccer Schoolには15人ものコーチがいます。ですが正直、自分の子供のカテゴリーコーチのこと以外よくわからないと思います。「若い子がいっぱいいるなあ」「誰が留学生で誰がスクール卒業生?」そう思ってる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方々に朗報です。この企画ではしょうたコーチがいろんなコーチにインタビューをして、経歴、サッカー、人生についてズケズケ質問して丸裸にしてしまいます。
記念すべき第一回。今回インタビューしたのはこの方
U11-13ヘッドコーチのちひろコーチです。
僕自身、ちひろコーチと出会ってから2年以上経ちましたが、正直何者か知りません。知っている情報は、熊本出身ってことと、色々な国でサッカーしてたらしい。くらいです。
さて、彼は何者なんでしょうか。インタビューしてみましょう。
しょうたコーチ(以下:しょ):それでは、お名前と年齢、出身地お願いします。
ちひろコーチ(以下:ち):野田智裕、30歳、熊本県出身です。
しょ:オッケー。笑 それではまず30年間の人生を軽く教えてください。
ち:軽く?笑
しょ:軽く。じゃあ最初にサッカーに出会ったのはいつ?
ち:出会ったのは5歳かな? 5歳の時に、多分Jリーグ開幕の影響で保育園にゴールが設置された。保育園の中におっちゃんがゴール運び入れてる記憶が自分の中にある一番若い記憶。
しょ:へー、すごいなそれ。
ち:保育園の時はチームに入らず一人でサッカーやってて、休み時間とかに俺と女子全員vs他の男子でサッカーやってた。当時から負けず嫌いだったから、女子に絶対ゴール前から離れるなって言って、自分一人で点取りに行ってた。笑
しょ:当時から変わらないね。笑
ち:それから小1の時に熊本のYMCAっていうチームに入って、小3でなぜかキーパーで選抜に選ばれた。
しょ:キーパーやりたかったの?
ち:いや。自分があまりサッカー上手くなくて、体も大きい方だったから。けどやっぱキーパー嫌だなって思って、小5、6は地元の違うチームに通った。あと当時はバスケットもやってて、ミニバスで県ベスト8までいって、だから中学上がる時にバスケやるかサッカーやるか迷ってたくらい。
でも中学ではサッカーやること選んで、県大会でベスト16くらいまでいったかな。その後は熊本県立大津高校に行って、
そこのサッカー部は3年間インターハイも選手権も全国にいったけど、自分はずっと2軍 だった。3年生になる時、1軍に上がると思ってたけど自分だけあげてもらえなかった笑
そして大学に上がる時、自分の高校はサッカー強かったから先生の推薦で行けたけど、自分を使ってくれない先生の力を借りるか、って思って自分で推薦受けたら落ちたの。笑
しょ:だっさ。笑
ち:結局一般で帝京大学の教育学部に受かって、そこでも2年間サッカーやったけど1試合もトップチームで試合に出れなかったから一回サッカーやめて、FC TORIPLETTAっていうチームで小1、3、4年生のコーチを始めた。そして大学4年生になった時にまたサッカーしたくなったから東京都リーグ1部のFC新宿ってところでプレーしながら、コーチも続けて、教育実習もして教員免許取ったみたいな感じ。
しょ:なるほど。
ち:それで進路決めなきゃいけなくなった時、ありがたいことに父親から2年間好きなことやっていいぞ。って言われたのね。色々やりたい事ある中で、今しか出来ないサッカーをやろうと思って、年齢的にもほぼ可能性ないけど、とりあえずどんな形でもいいから”プロ”になるっていう目標持って1年アルゼンチンに行ったかな。
最初のシーズンは5部リーグでやって、シーズン後に2部リーグのInstituto de Córdobaってチームのトライアウト受けに行ったのね。その時に寮で当時ルーキーのパウロ・ディバラと生活してて、彼はその時17歳だったけど飛び級でトップチームでやってた。一緒にサッカーはしてないけど卓球とかはしてた。笑 彼めっちゃ強いよ。笑
その後に引退後のことも考えて代理人をつけずにアメリカのチームのトライアウトに行ったのね。一つは最終選考で落ちて、もう一つはビザを出してくれないから断った。そして次はオーストラリアに行って、自分でいろんなチームの練習に行って、初めてセミプロとして給料もらいながらプレーしてた。
でも結局自分を選んでくれた監督が成績不振でクビになって、次にシンガポールに行ってまた自分でチームを探し始めたら1チームから声かかったけど、数ヶ月後に消滅してた。笑
その次にマルタの知り合いから「今すぐマルタ来れる?多分契約取れるよ。」って言われて行ったら、情報の行き違いで俺が元Jリーガーってことになってたから待遇がめちゃくちゃ良かったのね。笑 だからこれは契約取れるって思って練習受けてたら最終判断前の最後のミニゲームで”外反捻挫”っていう怪我をして結局契約出来なかった。
足首からバキッって音したの今でも覚えてるもん。その後にラトビアに行ったけどタイムリミットの2年ていうのもあったし、足を怪我してまともにプレー出来なかったから、悔しいけど逃げるように日本に帰った。だからあまりどうやって日本に帰ってきたか覚えてない。そして25歳で一回サッカーをリタイアして、日本に帰って損保ジャパンで就職した。
しょ:濃いね~。まだまだカナダに来ないじゃん。笑
ち:実際日本でもサッカーやりたくて、仕事をしながら地元の先輩たちの社会人チームに入って県大会2位とかまでは行ったかな。その後どうしようかなって考えてたらFacebookで東南アジアで日本人プレーヤーの募集記事見つけてすぐ連絡して自分のプレー集を送ったのね、そしたらすぐに契約決まってフィリピンに行った。
フィリピンでは2年プレーしてシーズン23点取って得点王も取ったけど結局クビになった。理由は多分外国人選手としては物足りなかったんだと思う。そしたらカンボジアのチームから連絡きてトライアウト受けに行ったけど、結局落とされた。
その後に日本に帰国したけどカナダのVancouver Island Universityから特待生のオファーをもらったから、そこに行くまでの時間は関東2部のチームのコーチをやってたのね。でもカナダに行く1ヶ月前に大学からプロ経歴があるから契約出来ないって言われて、2017年の1月にトロントにセミプロがあるって情報を得たから来た。
しょ:おお、やっとトロント来た。笑
ち:トロントのセミプロのチームいくつかトライアウト受けて、一つのチームに受かったからそこでプレーして、留学エージェントとして仕事も見つけて、JFT(J Athletics Canadaの前身)のチームでもたまにプレーしてたけどコーチとしてこの団体に関わるようになったのは2018年のカエデカップに誠さんと話ししてからかな。
しょ:で、もうプレーヤーとしては引退した感じ?
ち:そう。もう満足した。どこかでまだプロ目指したいって思ってたけど自分の中で30歳まで、って決めてたし。ていうのが自分のサッカーの話。
しょ:なるほど。めちゃくちゃ濃いね。そしてこの前電撃帰国の発表をしたけど、トロントで日系コミュニティと関わってどうでした?
ち:楽しかった。俺からしたらトロントは日本ですね。笑 すごく住みやすいし、日本食も多いし。自分もアルゼンチンにいた時に全く見ず知らずの駐在さんからお金貸してもらったり助けてもらってたから、こうやって日系社会に関わるようになって少しは恩返ししようかなっていう気持ちはあった。
しょ:いいとこだよねトロントって。じゃあちょっと話変わるけど、小さい頃のちひろ少年の夢はなんだった?
ち:やっぱりサッカー選手だね。今でもゴールが運び込まれたの覚えてるし、めっちゃサッカーが楽しかったのね。
しょ:ほう。ちひろコーチにとってサッカーの楽しさって何?
ち:過去に俺もいくつかインタビュー受けて、そういう時は大体”チームメイトと一緒にプレーすることが…”とか言うけど、正直に言うと多分家族に注目されたかったんだと思う。自分は3兄弟(兄、妹)の次男だし家族の中でもあまり注目されなくて、”すごい”って家族から言われたいからサッカー頑張ってたんだと思う。自己肯定感を与えてくれたのがサッカーって感じ。
しょ:なるほど、すごいサッカーが大事だったんだね。ちひろコーチはいろいろな国行ったり、人生経験豊富だと思うけど、後悔って多いの?
ち:うん。後悔はたくさんある。でもそういう後悔を糧にできるのは今後の自分次第だと思ってる。
しょ:いい事言うねえ。では、JACサッカースクールは13歳で卒業だけど、その子達に向けたアドバイスとかあれば教えてください。
ち:”実際にみて判断する事”が大事になるのかなって思う。これはスクールの選手にも言ってる事だし。自分が思うに、サッカーも人生もカオスな状況を相手しないといけない時があるから、実際に自分の目で”見て”判断する力がとても大事だと思う。
あと、楽しむことが大事!人生うまくいかない事もたくさんあるけど、だからこそ出会える人もいるだろうし、悲観的にならずに前向きに。失敗は成功のもとって言うしね。自分のモットーは”人生ネタ作り”だから。笑 失敗も後で成功したらネタになるからさ。
しょ:いいモットーだね。笑 それでは昨シーズンまで担当していたU11-13の選手たちへ何かあれば。
ち:みんな真面目に、でも楽しくサッカーをしている姿には自分も勉強になったし、難しい練習もたくさんしたけど、それでもプレーをやめないで頑張って考えながらやれてたからすごく成長したと思う。練習試合でもその成長がたくさん見れたし。まだまだ未来があると思う。
あと、ずっといろんな選手に言ってる事なんだけど、別にサッカーをやめてもいいと思うし、自分みたいにプロになるだけが正解でもないと思ってるのね。だけど、サッカーはずっと好きでいてほしいなっては思う。U13でスクールを卒業したらもうサッカーを定期的にやる機会がなくなってしまうかもしれないけど、それでもずっと好きであって欲しいな。
しょ:ではスクールの保護者に向けて何かあれば。
ち:今JACでやってるサッカースクールは本当に保護者の協力なしではできない活動だと思うのね。保護者の理解がなければ、こういう団体も運営できないし。言いたい事も多分たくさんあると思うけど、そんな中でコーチたちを暖かく見守ってくれていると思うし。だから本当に感謝しかないな。
しょ:では最後に。JACと関わって1年、楽しかったですか?
ち:楽しかったですね。特にスクールのなでしこ組はみんな可愛いので、君たちが20歳くらいになって、ちひろコーチもまだ独身だったら飲みにいきましょう。笑
しょ:しっかり締まりましたね。笑 ありがとう。
僕自身インタビューをする前まで、ちひろコーチは順風満帆なサッカー人生を送っていたものだと思っていました。色んな国でトップチームでプロとしてプレーをしていたのだと思っていました。
ですが、話を聞いてみると、挫折、失敗の連続のサッカー人生を歩んでいたようです。
今回そんな話をインタビューで聞いて、なぜこんなに大変なサッカーをちひろコーチは続けてこれたのかな?とふと疑問に思いました。
そんな事を考えながら先日コーチ達と参加したサッカートーナメントで、少し答えが分かった気がします。
それは、ちひろコーチがとてもサッカーを好きな事です。
トーナメントに参加したコーチの中ではまことコーチの次に年長のちひろコーチ。そんな彼が試合中に一番大きな声を出して、試合に負けたら本気で悔しがっている姿を見て、「この人は本当にサッカーが好きなんだな。。」と感じました。
ちひろコーチとは2年ほど一緒にサッカーをしてきましたが、サッカー素人のしょうたコーチにも本気でアドバイスをしてきます。最初の頃は2割くらいしか理解できませんでした。
そんなサッカー大好き熱血ちひろコーチも帰国という事で寂しくはなりますが、ちひろコーチもインタビューで言っていた”サッカーを好きでいて欲しい”という気持ちは全コーチ思っている事だと思います。
サッカーの楽しさ、面白さ、辛さ、苦しさ、、、全てを教えられるサッカースクールのコーチ一同、次のシーズンに向けて最高の準備をしていきたいと思います!
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